車両工作
C62+D51=D52形蒸気機関車を作る
KATO C62(203)&D51(206)
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後日編 (2011/03/31)



C61形蒸気機関車作成時に余ったC62のボディーと炭水車、D51の動力とキャブ(↓)。

今回はこれらを利用して、太平洋戦争中に誕生した国内最大の貨物用蒸気機関車D52を作ろうと言う試みです。

D52はの1943年(昭和18)から285両が製造されましたが、その誕生は戦争による国内輸送力逼迫に起因するものでした。
D51の改良型なのですが、牽引力(粘着力)を高めるためにボイラーを可能な限り大型化したパワフルな蒸気機関車です。
戦後、D52のボイラーとC59の走り装置を組み合わせて国内最大の旅客用蒸気機関車C62が誕生した訳ですが…
今回はC62のボイラーを利用してD52を作ると言う”時の流れ”に逆行したような工作となります。

さらに、この5月に相模原市の鹿沼公園で見たD52-235の「D51と比べてえらくでかいなぁ」という印象。

その印象とこのD52-235が「現役だったら…」というイメージを合わせて作りたいと思っております。

基本的には下回りとキャブはD51、ボイラーとテンダーはC62というシンプルな組み合わせですが、
ボイラーはほぼ同一なのに煙室扉の径がC62とは違ったり、
テンダー台車が独特のものだったりと、一筋縄では行きそうにありません。

市販のディティールアップパーツを利用してしまう方が出来が良いのはもちろんなのですが、
ここにご紹介するのは、私の得意(?)ないつもの貧乏工作です。
従って、私なりの解釈や大胆(無謀?)な方法で作っている部分が多々あります。
その大雑把な部分については、甘受いただければ幸いです。

それでは、Let’s工作!



ボイラー工作編

”機関車は顔が命!”
とは申しませんが、D52は独特な顔をしております。

例えるならば、輪郭は大きいけど目鼻がギュッと中央に集まっているような顔です。

なので、扁平な顔のC62のボイラーから煙室扉部分を取り外して、プラ板にて蓋をするようにして、新しい顔の土台を作ることにしました。

また、フロントのランボードは角度がかなり異なりますので、切り取っておきます。
形状の異なる煙室扉は、KATOさんのD51を複製して使うことにしました。

写真は「型想い」というお湯で茹でると柔らかくなる型取材を利用して、エポキシパテで作った部品です。
これを根気良く紙やすりで削ったのが、左の部品です。
こうして作成した煙室扉をプラ板に貼り付けました。この周りが余っている感が、私の持っているD52の”顔”に対する強い印象です。

ボイラーの上の給水温め器とヘッドライトを3mm径のプラ棒を利用して自作しています。

ヘッドライトはC11のヘッドライト点灯工作の時の要領で、ピンバイスでプラ棒を漏斗状に削っていくと出来上がります。テンダーにも取り付ける都合があるので、ライトはもう一つ作っておきました。
切り取ったランボードと前梁は、切り取った部材をそのまま利用して、角度を変えて改めて接着しています。

横から見ると下の写真の通りです。今回はパイピングにも挑戦するべく、ボイラー上の管のモールドを削ぎ落としました。

その際に手摺の支えがある場所に予めピンバイスで穴を開けておきました。


ボイラーバンドや空気作用管は、私の腕で改めて作ると大作りになる嫌いがあったのでそのまま残しました。

サーフェイサーを吹いて、パイピングする場所を鉛筆でなぞってあります。アナログな作業です(笑)。

0.23mm、0.3mm、0.45mmと色々な太さの銅線や真鍮線を利用して配管を作っていきました。

ボイラー上や煙室扉周りのステップや手摺なども増設中…

完全に我流ですが、こんな感じで手摺も作っていきました。かなり地道な作業です。

ボイラー周りのパイピングはこんな感じで終了です。

パイピングが終わったので、ボイラーにキャブを接着しました。
下回りとの整合性もここで確認です。

さて、機関車部分もだいぶ出来てきましたので、プラ板工作です。

まずはデフレクターを現物合わせで切り出しました。ラジペンを利用して上部に少し角度を持たせたり工夫してみました。
手摺やデフのステーを針金で作って装着に備えます。

乗務員用ステップもプラ板で作成。

汽笛は前回同様、削り落としたモールド部分に現行C62用のASSYパーツを利用しました。

0.3mmの真鍮線で煙室ハンドルを作成してみました。
工作としてはお手軽なのですが、再現性は…いまいちですかね(笑)。



テンダー工作編

ボイラーのディティールに負けないように、テンダー(炭水車)にも手摺や梯子を作っていきました。
さて、今回一番の問題点です。

左の写真が実際のD52のテンダー台車なのですが、結構独特の形状をしています。D51やC62ともかなり違った形状です。
今回使用する左の写真のC57のテンダー台車とも、写真の様に違う形状です。ただ、違うなりにも似た部分がありますので、これを利用することにしました。
赤い線から外側の不要な部分をカッターで削ぎ落としました。
そっくりとは言えませんが、まぁ、当たらずとも遠からじと言った風情になったかなぁ…。


塗装編

気になる部分を紙ヤスリで削って整え、金属部分や軟質プラスティック部分にプライマーを塗っておきます。

この写真を撮った後、機関車と炭水車(テンダー)の間隔が気になり、キャブに雨樋や手摺を取り付けたり、”Nゲージ蒸気機関車”さんの記事を参考(ありがとうございます)に機関車・炭水車両側からステップを延ばしてみたり、そのステップに梯子を取り付けたりと、ちょこちょこ手を加えました。

逆にC61の時には走行性に問題を来たしたキャブ下のディティールについては、極力控えるようにしました。

おおまかな形は出来ましたので、コバルトブルーを少しだけ入れて調色した黒を吹きました。

今回もつや消し仕様です。



完成編


ウェザリング(汚し)が終わり、いよいよ完成です。

冒頭の通り、相模原で静態保存されているD52 235です。自分の目で見て触れた機関車と言うのは、やはり愛着が沸くものです。D52-235は1946年(昭和21)に誕生し、主に北海道の函館本線や室蘭本線で貨物の輸送に活躍した蒸気機関車です。

前回のC61同様、ナンバープレートや製造銘板などもそれに合わせてお絵かきソフトやEXCELで作成し、いつものシール(下写真)にプリントして作成しました。

キャブ窓には窓表現で透明プラ板を入れ、モーターが目立つキャブ後方には目隠しに防寒のためのカーテン(着色したティッシュペーパー)を取り付けてみました。いかがでしょうか?

仕上げにエナメル塗料とパステルでウェザリングを施しました。
黒よりも茶色のパステルを多用して、旅客牽引車と違った鉄粉にまみれた機関車を表現しました。初めてのパイピングもそれなりに活きている気がしますので、個人的には「まぁまぁ良く出来たかな」と気に入っております。

前梁が下付きな気がします。まぁ、今は気にしないことにしましょう(笑)。

北海道を走る貨物列車牽引や瀬野八の後補機として、我が家ではまだまだ頑張ってもらいたいと思います。



おまけ&比較編

前回作ったC6128と並べてみました。

旅客牽引車であるC61は鈍色(にびいろ)、貨物牽引車であるD52は錆色をイメージ。

C57・C62・D51を使ってこの2両を作り、余ったのはC57のボディー&テンダーとC62の動力でした。
もう一両できないかなぁ(笑)。



KATOさんの旧C62、D52、C61、旧D51と並べてみました。いずれも兄弟のような蒸気機関車です。

ボイラーの太さは左2両と右2両で同じ。軸配置は1両おきに似ています。

D51がC61(下回りはC57相当)に改造され、D52がC62(下回りはC59相当)に改造された歴史を持ちます。

前で揃えています。下回りの違いが見えないと、上2両と下2両が同じ様な機関車に見えますね。

C62やD51にも手をかけてあげたくなりました(笑)。



視点の上下角は違いますが、今度は実物との比較。

微妙な差異は多々ありますが、やっぱり前梁が低いですね(笑)。


後日編 (2011/03/31)

やっぱり前梁が低いことなどが気になってきました(笑)。

そこで、ルビコン河を渡る決意で改修に臨みました。
※要するに、「エイヤー!」って感じです

前梁をソーサーで一度切り離し(写真左)、さらに厚みの出ている部分を切り離し(左下)、やすってから再接着(下)して2mm程短縮しました。

左が改修前、右が今回改修したものです。かなり違う気がします。

次の問題点があったのがテンダーの台車でした。

ボギー貨車の台車をそのまま流用させてもらいました。
※ここで犠牲車1台・・・

違和感なく合致してくれました。

ささやかなディティールアップです。
砂箱の蓋を取り付けてみました。


改めて完成ということに。デフに裏打ちと縁の表現をつけてみました。オーバースケールですが(笑)。


今回も実車と比較…

やっぱり、まだまだですねぇ(笑)。また折を見て、ディティール工作でもしましょうか。

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