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N.NONAKA こと |
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人生は山あり谷あり 禍福は糾える縄の如し |
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野中直樹 |
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神奈川県横浜市出身
大学卒業まで横浜市内で過ごした後、一般企業へ就職。1年目成績優秀による社内表彰受賞で雇われ人生も順調かと思いきや…、尊敬する先輩が専務に灰皿で殴られるのを見て、サラリーマンとしての自らの未来に幻滅。迷うこと数年にして、20歳代後半に会社から独立することに。
伝手のあった通信設備設置事業を始めることに(この時の屋号が”のなか通信”)。進学こそ文系でしたが、小学生の頃からの趣味だったマイコンの知識や、細かな配線作業などに持ち前の手先の器用さが幸いしました。
1998年7月 ホームページ ”のなか通信” 開設
しかし、そのころから普及し始めた携帯電話のために市場が縮小。事業がなかなか軌道に乗らずに先細り。ネットオークション等の環境がなかった当時としては、まだ手探りだったPCやOA機器のインターネット取引に携わりましたが、これでは生活が持たないと社会人へ逆ルート。
横浜で有名だったレンタルビデオチェーン本部でシステム統括責任者として働き、それらの知識や経験等を基礎に副業的にソフトウェアクリエーターとして活動。あの2000年問題も体験しつつ、当時のフリーソフトを入口に高価な専業ソフトも個人で開発・販売していました。また、副業で継続していた通販事業を通じて神奈川県古物商資格も取得。
2001年10月 横須賀市佐野町に実店舗 Ark(アーク)開業
好事魔多し。30代半ばにそれまでの無理が祟り健康を害してしまい、否応なしに雇われ人生に終止符が打たれ、いつの間にか副業が本業に。さらに大資本にアイデアを勝手利用されるなどで心が折れ、個人でソフト開発することに限界を感じてしまいました。私に限らず、心が折れるとだめなのですよね。こうしてデジタルからも完全撤退。
30歳代終盤からかつての趣味であった鉄道模型に軸に据えてアナログ回帰。リサイクル店だったアークを数年かけてレンタルレイアウト&鉄道模型店へ転換しつつ、ジオラマ作成から市民講座の講師まで、オンリーワンの分野で文化活動も。
40歳代半ばにして「不惑」を実感する。なるほど「不惑」とはこういうことなのね…。いずれ行く道 後輩世代よ、生き急ぐな!
50歳代とともに新型コロナが蔓延し、世の中の価値観の変化を実感しております。そんな現在、自らの人生終盤へ向かって、初めて自分の夢を持てるようになりました。今までは生きていくのに精一杯でしたから、夢を持つ心の余裕がなかったですね。
『自助、互助、自制』
『金を残す三流、名を残す二流、人を残す一流』
敬愛する後藤新平翁のこの言葉を背骨に、変化する時代や価値観と自身の美徳をすり合わせ中。兎に角一日一日を大事に生きようと心がけております。
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横浜市鶴見区生まれ |
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横浜市磯子区育ち |
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昭和45年組 |
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お知り合いになった方によく「NONAKAさんは何者ですか?」と尋ねられることがあります
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最近ではお店に来てくれる既知のお客様に「ご職業は何ですか?」と尋ねられました
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鉄道模型からパソコンのソフトウェア、果てはお家の修繕まで
様々な経験を経て熟年に達しようとしている私にとって、これらの問いかけは嬉しい誉め言葉に感じます
お調子者なので、褒められることは大好きなくせに、一匹狼なところがあるんだよなぁ
髭面のおっさんなのに実はツンデレ!?
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