巨人軍1999年の総括

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 1999年の巨人軍は、西武松阪と比較対照された、ルーキー上原の加入に沸いてペナントレースに突入した。しかし前年2位の中日が、これでもかと投手力を整備しているにもかかわらず、巨人軍は上原以外、満足のいく投手補強をしなかった。このような不安材料を抱えつつ、現有戦力で戦わざるを得ない巨人軍に私は一抹の不安を抱いていた。

 桑田や斎藤雅が全盛期の活躍が出来ない今、良くも悪くもガルベス以外の柱はなく、開幕投手が巨人軍としては異例の外国人投手となった。「去年の反省も含めて、今年はガルベスに活躍してもらわねば」という長嶋監督の意気込みを感じるものであった。
 開幕戦は勝利したものの、どうしても波に乗り切れない。前年から引き続いた中継ぎ陣の不調が表面化し、4月9日には正捕手村田真一が顔面に死球を受けて、長期戦列離脱を余儀なくされた。正捕手不在と中継ぎ陣の不調によって、大量のリードを中盤から後半にかけてひっくり返される試合が目立った。
 打撃の面で特筆すべきは、2年目の高橋由伸が八面六臂の大活躍を見せ、4月を終わった時点で8本塁打。打点も30に手が届くところまで稼いでいた。彼の活躍によってチームの4月はイーブンで終わった。

 5月に入ると、高橋の好調につられて松井も奮起。MTの両輪でチームを引っ張るかに見えたが、中継ぎ陣の不調はいよいよ深刻で、また、槙原への不信も顕在化してきた。 斎藤雅・清原・広沢・仁志・入来兄も次々に戦列を離れていき、それに並んで負け星も増加していった。 5月を終わって借金5。正直な話、このころの巨人軍を見ていて、誰が優勝を争えると思っていただろうか?

 6月。5月末より復帰した村田真一の効果か、岡島・柏田・木村といった中継ぎ陣が復調の兆しを見せ始めた。上原も脅威の連勝を始め、“投”の車輪は回り始めた。
 一方、“打”の車輪はというと、松井と高橋が競い合い、中旬にはマルティネスが加入して打線に厚みが出た。 投打の車輪が噛み合い始めた結果は、6月を16勝7敗(.696)という高い勝率で乗り越え、貯金を作ることに成功した。

 7月も相変わらず、松井・高橋が打線を引っ張り、マルティネスも清原の穴を埋めて余りある活躍をしていた。 上原は7月4日に早くも10勝目を挙げ、オールスターゲームにも先発を果たした。

 オールスター明けの先発はやはりガルベス。今年を通しての軸であるという長嶋監督の決意の現れである。(結果は出なかったが…。)
 しかし、それまで打線を引っ張ってきた二人に陰りが見えつつあった。松井が脇腹痛で8月前半にかけて約10試合先発を離れ、高橋のバッティングにも一時の勢いはなくなってきていた。この時期の二人には明らかに疲れがあった。

 8月。サンデー上原改め、チューズデー上原の快投は続き、ゲーム差はあるものの中日を追いかけていた。しかし、8月17・18・19日の対中日3連戦を最悪の3連敗で終わった。中日関川の活躍にやられた。その後、清原がスタメンに復帰するものの、彼らしいバッティングはほとんど見ることが出来ず、首位中日とのゲーム差はなかなか縮まらなかった。 

 9月1日、“長嶋監督、来期続投決定。”との報道。
 去年もそうだったが、読売の首脳は選手の微妙な士気というものがわからないのだろうか? 9月上旬、巨人軍は負け星を重ね、「連勝して首位にプレッシャーを」などという戦い方は出来ずにいた。
 上原がルーキーの連勝記録を更新するが、チームのターボはかからない。9月14・15・16の対中日3連戦。2勝1敗で希望をつなぐものの、高橋由伸、鎖骨骨折で今季絶望。 
 それからの中日の連勝に逆にプレッシャーを感じてしまったのか、追い上げムードは下火になり、あっけなく中日に優勝をとられてしまった。

 最終成績  75勝60敗 .556   6.0ゲーム差の2位

 開幕前の一抹の不安が、現実のものになってしまった。
 正直な感想としては、この投手陣で75勝は立派だと思う。中日はあれだけの投手陣で81勝なのだから。

 投手陣について思うところを述べたい。問題点を以下に。
★10勝以上挙げた投手が上原以外いない事。
  2番目に勝ち星を挙げたのは、ガルベスの9勝(但、12敗)。
★3本柱(上原・ガルベス・桑田)で37勝25敗5S(貯金12)であること。
  2・3本目の柱が頼りないこと。4・5本目の柱が、無いこと。
★シーズンフルに働けた投手は、
  上原・ガルベス・桑田・三沢・槙原だけであること。
これらの問題はお互いにリンクして、悪循環を及ぼしていると思う。

 手っ取り早い解決方法は、FAやトレード・ドラフト・外国人を補強することである。
 巷では、ロッテの小宮山や河本といった投手をFAで獲得するというが、河本は来期で33歳。小宮山にいたっては35歳。これは巨人で言うところのガルベス・斎藤クラスの年代である。いつ故障で使えなくなってもわからない年代である。もちろん例外もあるが、リスクが大きいと思う。
 ドラフト1位社会人・大卒投手が10勝、ましてや20勝を挙げるといった夢はもう持たないで欲しい。上原が逸材であっただけである。
 すると、現実的に勝星を増やすためには、トレードと外国人投手の獲得である。 しかし、外国人投手の獲得が下手なのは、デセンス・ホセの例で明らかである。いいかげんガルベス(ドミニカ)ルートでの外国人探しは止めて欲しいものである。これが続くようならば、外国人投手による戦力補強も難しいであろう。
 残された効果的な方法は、トレードで20代後半の油の乗った投手の獲得である。巨人軍には元3本柱や元大砲を含めて、幸い名のある選手が多い。これらの財産を生きているうちに活用するべきである。
 少し過激なことを述べてしまったが、それくらいに投手陣の再建が急務であることを述べたかったのである。

 次に打撃陣について。
 今年は攻撃面での問題は少なかったように思う。
 二岡も新人ながら、昨年の高橋由伸並みの成績を上げることが出来た。無難な守備に加え、リストの強さはなかなかのものなので、あとは確実性のあるバッティングを鍛えて欲しい。
 松井や高橋はタイトルこそ逃したものの、個人的には満足のいく成績を上げることが出来たのではないだろうか?
 今年は清水が冷飯を食ってしまった気がする。年間通じて3割を打てるバッターであること。盗塁が出来る走者であることをアピールして欲しい。マルティネスがレフトを守ったりで出場機会が減ってしまった。これは巨人軍にとっての損失である。清水もそれに甘んじることなく、思い切りのいいバッティングを見せて欲しい。
 なにより今年活きが良かったのは、仁志である。長らく不在であった巨人軍のトップバッターとして、合格点の出来であった。

 今年、及第点をあげられなかったのは、元木・清原のMK。
 共通することは、年齢以上に体にガタがきていること。鍛えなおして活躍して欲しい。
 特に清原については、待ったなしの状態である。昨年のこのページに、
「まず第1にまだ31才なのに体にガタが来ているところ。-(中略)-来年は120試合以上をスタメンフル出場して欲しい。第2に数字的に物足りなすぎる。本来ならば、松井と本塁打・打点のタイトルを争わなければいけないだけの選手なのに、23本80打点は少なすぎる。とりあえず来季は新人のときに記録した3割1厘31本を目標に切磋琢磨して欲しい。おのずとタイトルが見えてくるはずである。老け込んで欲しくない。」
と書いたのだが、怪我などがあり結果的にプロ最悪の成績を残してしまった。
 もう期待してはいけないのだろうか?
   
 以上が1999年の巨人軍を見てきた私の私見です。
 今年もペナントを制することが出来なかったという重い事実。
 愛すればこその厳しい内容ですが、巨人の勝敗で一喜一憂する我々ファンのためにも来年こそはがんばって欲しいものです。
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