大垣城(岐阜県)
概要
大垣城のルーツには諸説があるが、明応九年(1500)ごろに竹腰尚綱が築いたという。大垣城はいわゆる境目の城であり、南は伊勢・尾張、西は近江、そして東は美濃の中心である岐阜(稲葉山)まで一直線という地の利である。織豊期には加藤光泰、羽柴秀勝らが城主となった。有名な関が原の戦いは、当初西軍はこの城で迎え撃とうとしたが、東軍が大垣を迂回して近江に進出する気配を見せたために起こった遭遇戦なのである。こうして歴史の大舞台になったものの、その後は歴史にかかわることなく維新を迎えた。天守閣はその後も残ったが、昭和二〇年、空襲によって焼失してしまった。現存のものは昭和三十三年に復元されたものである。
私見
私がたまたま訪れた日が天守閣である資料館の休館日であったために、中を見ることは出来なかった。大垣の人々はやさしく、道に迷った私に丁寧に教えてくれた。城とは関係ないが人情を感じた。