水戸城址(茨城県)


概要 
徳川御三家である水戸徳川家の水戸城は明和元年(1764)の火災によって、主要な建築物がすべて灰塵に帰してしまった。その後御三階櫓が再建されたが、天守閣というには程遠いものであった。天守台の石垣も組まれておらず、代わりに石垣分だけ1階の高さを高くし、外装もそれらしくしたものだった。それでも、水戸家の威信を保ちつつ維新期を乗り越えたが、昭和二〇年惜しくも空襲によって失われた。

私見 
街の案内にも城跡とは載っておらず、痕跡を辿るには少々厳しいものがあった。かろうじて当時からある門がその存在を認めている。