甲府城址(山梨県)


概要 

本能寺の変後、甲州を我が物にした徳川家康は、その支配を磐石のものにするために甲府に築城を命じた。側近平岩親吉に築城を命じたものの、工事ははかどらず1590年、家康の関東移封に伴い工事が中断した。その後、羽柴秀勝、加藤光泰、浅野長政とめまぐるしく城主が交代して、関が原の戦い(1600)に至る。さて、甲府城には謎がある。それは天守閣に関する記録が伝わっていないことである。写真や現場を訪れればわかるが、かなり壮大な石垣が組まれているのである。恐らく豊臣時代には天守閣も存在したものと考えられるが、徳川時代になり軍事面および政策面で甲州の価値が下落し、天守造営の意味もなくなったとも考えられる。

私見 
まず壮大な石垣にすこし圧倒される。加えてそんなに広大でもない城地を巧みな縄張りで生かしている。天守閣があったとかなかったとかはあまり問題ではなく、この縄張りに注目したいものである。