岐阜城(岐阜県)


概要
岐阜城はもともと稲葉山城といいその城下を井ノ口と呼ぶため、井ノ口城ともいった。室町期には美濃守護土岐家重臣の斎藤氏が任されていた。戦国期主家の没落に付け入り西村利政が斎藤家を乗っ取り、また美濃の実権も手にいれた。この人が蝮の道三である。これより義龍、龍興と続くが、1567(永禄十)に織田信長によって奪われ、岐阜(中国周の文王、岐山に拠りて天下を定む。という故事に因む)と改称、以後安土に移るまで織田氏の本拠地であった。信長の死後、織田信孝、信秀などが城主であったが、関ヶ原の戦いの後廃城となった。

私見
城郭は岐阜の中心部よりやや北の長良川沿い、金華山にある。ロープウェイで山頂近くまで上がり、さらに天守閣まで少し登る。あいにく私の訪れた日は雨、しかも濃霧。晴れた日には濃尾平野が一望できるとロープウェイのお姉さんが言っていたが、非常にむなしいものがあった。天守閣は再建のものであるが、こんな山頂に土木機械のない昔によくこのようなものをと感心した。下山した辺りが当時の居館跡であるが、戦時に城に詰めるのもこの城を攻めるのもロープウェイのない昔は大変だったことであろう。