新井城址(神奈川県)


概要 
鎌倉幕府の重臣、相模の名族三浦義澄の流れをくむ三浦氏の城。城は三方を絶海に囲まれた要害で水軍城とも言える構えである。室町時代後期に相模に進出してきた北条早雲に相模の要所要所を奪われ、最後に逃れてきた拠点こそ、三浦半島の先端に位置するこの城であった。北条早雲はこの堅城に力攻めをあきらめ、鎌倉に玉縄城を築いて長期包囲の策をとり、3年の歳月を費やしてこの城を落とした。この城の南にある油壺湾の名前の由来は、落城時の凄惨な戦いのために湾が血で染まったために付いたとも言われている。

私見 
現在は油壺マリンパーク水族館や東大研究所の敷地となっており、城域としてはまったく整備されていない。写真一枚目の森の奥あたりが本丸跡らしいのだが、残念ながら入ることはできない。水族館の傍らには三浦氏の墓もあり、なんだか不思議な感じを感じずには居られない場所である。