訪問先紹介

青梅鉄道公園

鉄道模型工房のTOPへ



2013年のお正月休みは東京都青梅市にある青梅鉄道公園へ訪れてきました。
青梅駅周辺は昭和の街をイメージした街づくりをしているようです。漫画家の故・赤塚不二夫さんの博物館もあり、その縁で青梅駅構内にも金(色)のバカボンのパパ像があります。
ふと道端に目を向けると、マンホールの蓋は梅にうぐいすがレリーフになっていました。こんな小粋な街に今回の訪問先である青梅鉄道公園はあります。

線路をはさんで駅舎北側にある永山公園へ向かいます。

駅から徒歩15分ほど。スラロームの坂を登りきると、青梅鉄道公園の記念館建屋が見えてきます。


記念館建屋を囲むように貴重な車両が展示されております。碑文は、かの十河信二国鉄総裁の筆によるもの。
下手な写真ですが、正月早々何枚も撮ってきましたのでちょっとお裾分け。



D51 452

石碑のすぐ後ろ、記念館の傍らには、1940年(昭和15)汽車会社製のD51 452号機が鎮座しています。


1965年(昭和40)までは東北本線、さらに1972年(昭和47)までは関西本線で活躍した機関車だそうです。


D51はやっぱり格好良い!集煙装置が似合います。多くの機関車を前に胸躍らせる私でした。



クモハ40054

D51から左へと目を移すと、1935年(昭和10)製の旧型国電・クモハ40054号が休んでおりました。


昭和50年代まで青梅線でも活躍していたそうです。木製の床板などに懐かしさを感じるインテリアです。


中には入れませんでしたが、鉄道博物館のクモハ40074とは兄弟のようです。鉄博とは異なる屋外展示。
日の下で見ると、通学する当時の生徒の声が聞こえてきそうな気がしてます。



C11 1

クモハ40054の隣にはタンク式蒸気の決定版、1932年(昭和7)製・C11のトップナンバー(1号機)がありました。


当時の新技術だった電気溶接で軽量化。リベット接合のC10よりも低規格路線への乗り入れが可能になりました。


この機体は、アーチ状のデフレクター(除煙板)ステーがユニークですね。



E10 2

C11 1の奥には全国でもここでしか見られないE10形蒸気機関車がどっしりと座っております。


急勾配用として製作された機関車ですが、トンネルでの煤煙を回避する為、後進運用が前提。故に運転席が右側にあります。


また、動輪が5つもあるため、曲線通過時の摩擦を避けるように第3・4動輪にはフランジがありません。


1947年(昭和22)に汽車会社にて製作された本機は、奥羽本線の板谷峠や九州、北陸の難所で活躍しました。

戦後の新製形式で運転席が左右逆位。珍しい5軸(E型)で太いボイラーなのにタンク機。
色々な意味で特異な機関車ですが、それだけに興味深い機体です。



ED16 1

記念館奥手には1931年(昭和6)製の準鉄道記念物であるED16 1が展示されていました。


ごく初期の電気機関車ですが、輸入機ではなく国産機であるところにこの機関車の歴史的意義があります。
ひさしと角度がある前面デザイン、何よりチョコレート色の車体は大変魅力的です。



110

ED16から記念館奥を右へと移動すると、比較的古い蒸気機関車のオンパレード。


カットモデルになっている110形蒸気機関車。明治初年の鉄道開業時に活躍した最も古い機関車の内の一両です。


10号機関車として新橋〜横浜間で活躍し、後に3号機関車と呼ばれた貴重な鉄道記念物です。


1871年(明治4)製造の車体が、140年以上経った現在でも見られることに驚きを感じずにはいられません。
カットモデルの本機を見たお子さんが「お父さん、壊れているよ〜」と叫んでいました(笑)。



5500(5540)

110形蒸気機関車の奥には5500形蒸気機関車。明治期にイギリスから輸入した旅客用蒸気機関車。


先輪2軸に動輪2軸のテンダー機。明治から大正にかけて、後の9600や8620の下地となった機関車です。



2120(2221)

110形蒸気機関車の隣には2120形蒸気機関車2221号機。いわゆるB6と呼ばれる明治後期の名機関車です。


日露戦争(1904〜1905)を背景に英・米・独に大量発注されたB6形は、貨物用・勾配用と広く活躍しました。


この2221号機は1905年(明治38)に英国ノーズブリティッシュ社で誕生。昭和30年まで入換えなどに活躍しました。


コンパクトながら3軸のタンク車で用途が幅広かったため、蒸気末期まで活躍することができたようです。



8620

B6の奥にはほっそりとしたボイラーが印象的な8620形蒸気機関車。大正期を代表する旅客用機関車の貴重なトップナンバー。


1914年(大正3)に汽車会社で製造された本機は九州や四国で活躍した後、1958年(昭和33)まで活躍しました。


今回はこの8620見たさにここへやってきたような感じでした。状態も良く、感動です。



9600(9608)

さらに8620の奥には9600形蒸気機関車9608号機が鎮座していました。


8620形とは対照的なトップヘビーの太いボイラーが特徴です。こちらも大正期を代表する貨物用機関車です。


1913年(大正2年)に川崎造船所・兵庫工場で製造された本機は、1962年(昭和37年)まで関西方面で活躍しました。


9600も状態が良いですね。個人的には8620も9600もデフレクターがない方が原形に近く好きです。



0系新幹線(22-75)

敷地奥の一段下がった公園に懐かしい新幹線0系の先頭車(22形75号車)が大きな車体を横たえていました。


新幹線開業から昭和60年頃まで、大勢の人々を乗せて日本の大動脈を往復しました。


子供の頃に憧れた新幹線の運転席です。当時は洗練されたデザインだったのですが、今見ると流石に時代を感じます。


新幹線というと0系を描いてしまう私にとっては、永遠のベストデザインです。



記念館

記念館の1階では1/80スケールの模型鉄道パノラマが広がっています。


定期的に運転され子供たちは大喜び。2階にはパネル展示、3階は展望台だそうです。


この鉄道公園の入園料が100円なのには、本当に驚く限りです。安過ぎませんか?



帰路へ


そろそろ帰らねばいけないのに、多くの車両たちに後ろ髪を引かれます。


屋外展示とはいえ多くの車両が屋根付で保存され、塗装もちゃんと施されており嬉しいです。
日本の鉄道の歴史を満喫するには、大変良い施設です。手放しでお奨めできるスポットだと思います。



標高が若干高いせいか北風が強く少々寒かったですが、青梅は景色も素晴らしかったです。
天気にも恵まれ、坂道すら心地の良い一日でした。



青梅鉄道公園
http://www.ejrcf.or.jp/ome/index.html

住所:東京都青梅市勝沼2丁目155番地
開館時間:冬季10:00〜16:30、夏季10:00〜17:30(入園は30分前まで)
入館料:一般 100円(小学生以上)
休館日:月曜日および年末年始
アクセス:JR青梅線青梅駅から徒歩15分
駐車場:隣接する永山公園内の駐車場を無料で利用できます




車両販売中

私のお店、アークウェブショップにてどうぞ

レンタルレイアウトも展開中です

このページのTOPヘ


Copyright(C) 1998-2013 のなか通信 All Rights Reserved